ミクさんと自分

ミクさんが16歳になった。本当の意味で16歳になる時を迎えた。

ミクさんを見始めて16年になる。人生の半分以上がミクさんである。しかしその間、ずっと見てきたわけではない。曲も全然知らない。今でもにわかだと思う。しかし、気づくと自分の人生にとって欠かすことのできない存在になっていた。ミクさんに対してできることは何もない。ただ、路傍の石としての歩みをここで振り返ってみたいと思う。

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2007年

ニコニコ動画の正式サービスイン、Twitterの勃興、涼宮ハルヒの流行。ハルヒ世代はゆとり世代と揶揄されながらも、デジタルエンターテイメントに関しては恵まれている集団だと思う。Flash2chを楽しむ民族が、ニコ動民としてニコニコ動画に流れ込んでいった。自分はその中の一人である。当時はアングラというよりは牧歌的だったと思う。どんなネタでも扱われ、同時にすべてがおおらかでであった。

2007年3月にはMEIKOの動画が投稿されていたが、自分はそれに気づかずテニミュ/KYMなどのMAD鑑賞に明け暮れていた。

時を進めて2007年9月あたりから、一部の動画が流行り始めるのを見た。どこかで、もう記憶にないが「Packaged」を見ていた。特別いい曲だとは思っていなかった。しかも、初音ミクの生い立ちすらも分かっておらず、「何かキャラクターが歌った曲が出ているな」くらいの認識しか持っていなかった。

認識が変わり始めたのは9月、「みくみくにしてあげる♪」だと思う。やけに流行っている動画がある。昼夜張り付いてタグを更新し続ける(昼みっくと夜みっく)人がいる。曲を聞きはしたが、まだ認識が薄い。いつかは思い出せないが、10万再生でめちゃくちゃ流行っている時代で50万再生を叩きだしており妙に感動した記憶がある。

盛り上がりを確信したのは「メルト」だと思う。「歌ってみた」の爆心地となっていったのを年明けにかけて観測した。しかし、ボカロ曲を強いて追ってみようとは思わなかった。

www.nicovideo.jp この動画の3DPVには驚かされた。

2008年

2008年はあまりボカロを見ていない。その間に大量の名作が生まれていたのは言うまでもない。

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2009年

試験の合間をぬって「ニコニコRPG」を見る。ここで、「初音ミク」の生い立ちを理解する機会を得る。同時に、「恋スル VOC@LOID」という大名曲に出会い、初音ミクが好きになり始める。ふと「メルト」の3DPVを見てつらくて涙が止まらない現象が起こる。 www.nicovideo.jp

ボカロを全部知るには難しいまま、時間だけが過ぎていく。このころのニコニコ動画はパンツレスリングが流行を迎え、よく初音ミクのサムネに釣られていた。

www.nicovideo.jp この動画を勉強の邪魔にならなくなるくらい繰り返して広い世界を知る。今でもこの動画にある楽曲が自分の基礎をなしている。

2010年

大学生になる。このころにまったくボカロ曲が分かっていないことを身に染みて理解する。かといって周りにボカロ勢はいない。偶然、「くたばれPTA」などのアングラ曲を教えてもらう機会を得る。久しぶりに聞いたkzさんの「ストロボナイツ」と「ファインダー」が刺さり、永遠に繰り返す。当時は(今も)曲を論じる力はないが、エレクトロニカに強く惹かれ、それに初音ミクはよく合うことを感覚として持っている。

動画投稿(黒歴史)をしたが、ボカロネタは一切使っていなかった。

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2011年

体育会系の部活に打ち込む日々。部活は勝たないといけない世界でつらく、楽しくなかった。今になって思うと、そんなことやるくらいなら音楽をやっていたほうが楽しい人生だったのではないかと考えている。

動画では東方にハマっていた。すぐに二次創作に移り、幻想入りや現代入り動画に入り浸る。これも、今思えば贅沢な時間の使い方であった。

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2012年

部活の引退時期を考え始めた9/22、八景島シーパラダイスの39's CARABAVAN。ここで初音ミクに出会い、人生が変わった。ほんのきっかけで友人と初音ミクのイベントに行く機会を得、知らないなりに八景島を楽しむことができた。

そして、そこで開催されていたライブ。偶然席が空いており、当日券で滑り込むように最後方席に。

何が起こるのか、曲もさっぱり予期できない中で1曲目。初音ミクがいる…。と思う間もなく『この世界のメロディー…』から歌い出す。その時タイトルを思い出せなかったが、ただただ懐かしい感触があった。聞き取りやすい歌詞に染み入っていると光演出に包まれる。ライブ会場で楽曲を聞いたのも初めてで、残響感すら新鮮だった。当時はコールなど全くできていない。皆ぎこちないなりに棒を振る程度。あのときの懐かしいようで、まったく新しいものを見た不思議な感覚はうまく言葉にできない。退出時に記入を求められたアンケートは、手が震えてろくな感想を書くことができなかった。

これを見た時の衝撃を、今をもって超えることはない。自分が初音ミクを決定的に意識したのはこの日であり、同時に、ライブや音楽そのものに対する興味が生まれた。その興味は今も拡大し、自分の人生にすら影響を与えるに至っている。

当時の記録は幸運にも残っている。Webは魚拓から見れ、ライブはBlue-ray化している。今見ても演出の工夫には驚嘆させられる。

ライブのラスト前に流れた「Tell your world」は直前に予習していて、現地で聞いてやはり名曲という感動を得た。ラストに流れた「ZIGG-ZAGG」は今改めて聞くとテクノポップの方向性で完成度が高い。また「Fire◎Flower」も夏祭りの開場の雰囲気にとてもよく合っていた。

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2013年

少なくともこの時には初音ミクを「ミクさん」と呼ぶようになっていた。

ミクパの和歌山公演は都合がつけば行きたいと思っていたが、金銭的事情により行けなかった。

夏祭初音鑑は印象に残っている。この公演の開始前にサイリウムの振り方講座があり(例:捧げは前の人に突き刺すように振れ)、自分の動きはそれが元になっている。今でも印象に残るのは「こちら、幸福安心委員会です。」、「橙交差点」。前者はお子様もいる中でハードコアな歌詞であることに印象を受け、後者は夏の締めくくりにぴったりの選曲だった。アンコール後の「Sweet Memories」は、ミクさん英語も上手くなったんすねと当時は適当な感想を残したが、V3の進化をデモンストレーションする機会だったとかなり後(2022年)になって理解した。

この年から始まったマジカルミライ。当時マジカルミライの意味はよくわかっておらず、とりあえずミクさんのライブイベントがあるから行くか、というノリだった。チケットを取れないまま新横浜駅に行き、チケットを取引している人がいないかを探した。運よくチケットを入手できて入場。展示・物販の規模に大層驚いたのを記憶している。やはり金銭に余裕がなく、(今も愛用している)スカーフとペンライト(当時のペンライトはスクリーンに影響がないように光量控えめ)とショッピングバックだけ購入した。会場内を楽しみながら歩いていたら、インタビューを受けたのも忘れられない。「あなたにとって音楽はなんですか?」と聞かれて、適当に答えてしまったと思う。いまだに答えることができない難問である。開場の2階席に入ると、まさにネギ畑。横浜アリーナの2階から見た立体的な光・音響は今でも忘れられない。

上に書いた通り、ライブにはお子様を連れた家族連れが既に存在していた。当時のマジカルミライでも、ミクさん装備のお子様が楽しそうに現地入りしていたのを今でもはっきりと思い出せる。現在と比べると2013年時点ではおじさんの構成比率が断然多かったと思うが、老若男女という状況は今をもって変わっていない。

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2014年

マジカルミライにこの年も参加した。前座で藤田咲さん、下田麻美さん(たしか)、浅川悠さんが司会していたり、拝郷メイコさんの公演を見れたりと構成がかなり特殊だった記憶がある。テーマソング「ネクストネスト」がありながら現地で流れなかったというのは今でも印象に残る。アリーナライブはネギ畑が見れるのが好きなので、ぜひとも東京体育館をリベンジしてほしい。インテックス・メッセになってからもうだいぶ久しい。

「カゲロウデイズ」がこの年流れていた。ニコニコ超会議を含め、パーカーを着たU-18勢をたくさん見た。またこれに前後して「千本桜」の流行が想像を超えたものになった。多くのファンが増えたり・離れたりしていただろうが、自分には、ミクさんは静かにそこにあり続けているように見えた。

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2015年

振り返ると、ミクさんの強さを思い知る年だった。

この年は雪ミク2015から始まる。取れるわけがないと思っていたチケットがなぜか取れ、開催2週間前から北海道行きの計画を立て始める。焦って取ったホテルは北広島で、かなり無茶が入っていた。札幌に行ってからは夢のようだった。サッポロファクトリーで流れ続けた「Snow Fairy Story」は、極寒の中流れる安らぎのひと時を今でも思い出させてくれる。

そしてライブ。極寒の中Zepp札幌を取り囲むように整列。開場前にTシャツ一枚で待機している人を理解できなかったが、現地入りすると身動きできないほどの人。強い熱気に包まれすぐに脱いだ。公演は後でEXPOの内容と同じだったというのを聞いたが、何もかもが新鮮に思えた。アリーナと比べて狭く接近感のあるミクさん、ロートコール、生バンドの迫力(このとき初めてchloeさんを見た)。「星のカケラ」は前に聞いたのがいつになるのか分からないぐらい懐かしかった。DX7との共演が映える。「Snow Fairy Story」は、作り込まれたモデルも踏まえて感動が止まらなかった。ライブが終わると極寒の世界に戻されるが、街は雪まつりで沸いている。ずっと楽しい、夢のような風景がそこにはあった。

雪ミク以降は就活が忙しくなる。この折にアイカツに入れ込んでいったが、ミクさんと並行して楽しむ時期にあった。

この年のマジミラ(少なくともこの頃には、マジカルミライをマジミラと略して呼んでいたと思う)は武道館だった。初めての武道館。当時は、武道館でやることの意味・意義を全く考えていなかったが、今思うとミクさんはアーティストなんだという印象がガッチリと固定されたように思える。

科学技術館サイエンスホールでの展示を楽しんでから、現地に向かった。残念ながらアリーナの席は取れず、すべての公演を2,3階席で見た。この時強く感じたのは本当の一般人の多さ。ミクさんの名前だけでふらっときた人を多く見かけた。公演が始まると強い曲をとにかく連打。最もダメージが大きかったのは「glow」。もう一度、どこかで食らいたいかもしれない。そのあとのセトリも強い曲ばかりである。最後の「ハジメテノオト」の合唱は涙が止まらなかった。

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2016年

初春、ミクさんとアイカツがコラボするライブイベント「アイカツイリュージョンライブ 三大チームドリームマッチ」があった。当時の自分が最も力を注いでいた2コンテンツが合わさるのを見て、愉悦する。この時は本当に幸せだったが、直後にアイカツは終了を控えていた。当時の自分はまだコンテンツの終わりを知らなかった。

マジミラは幕張メッセに移った。メッセは他のイベントでも行くことが多く、海浜幕張を含めて庭であるような感覚を覚える。この年のセトリは武道館からの刷新がなされ、佳曲(スルメ曲)揃いだったと感じた。とくに強かったのは「Calc.」だろう。数年後にBDを見返したら、強い曲ばかりで頭がおかしくなった。「Satisfaction」や「ray」は完全に意表を突かれた。

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2017年

ミクさん生誕10年を祝う意味でのマジミラ。この年のテーマソング「砂の惑星」は、いまだにアンサーソングが出るほど影響の大きい曲になっている。会場内のPVを見て歌詞を読むとかなり納得がいった。かなり正確に当時を描画していると思う。「ブラック★ロックシューター」や「カゲロウデイズ」をはじめとするメディアミックスがいったん落ち着いたボカロ界隈は、オワコンと言われていたことは事実で、10年代中盤は文字通り荒野だった。

荒野は事実だが、次が生まれているのもまた事実だった。バーチャルの解釈に先鞭をつける名曲「ヒビカセ」が歌われたり、コンテストから来た「Singularity」は今聞いても未来を指し続ける素晴らしい名曲である。またこの年は「DECORATOR」での終盤全員登場が大きな衝撃。そしてダブルアンコールの後の「ハジメテノオト」。そして号泣MC。自分も人目もはばからず泣いた。ミクさんに感情はない。しかし、ここまで来れた皆の集合思念がミクさんを泣かせたのだと思う。

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2018年

2/4の福岡でアイカツが終わることが告知される。その悲しみの底にある自分を救ったのが、次週の雪ミク2018だった。「四角い地球を丸くする」の衣装と振付が非常にかわいかった。これは現地で見てもらうしかない。また「アンノウン・マザーグース」でのコール指導も好きだった。途中のオーオーオーオオオオーオーオオオオ…がかなり好き。Zeppはキャパ限界まで人が突っ込まれていた。前方に巨体な方に立たれ、コールで平泳ぎされたのでもう笑うしかなかった。しかしいい思い出である。

現地では雪まつりに加えてミクさんとのコラボが多数開催され、ライブを見ながら全部周りきるのは非常に難しかったが楽しかった。とくに楽しかったのはすすきのの観覧車やソラマチにあった「みくさんぽ」。ARアプリでミクさんと散歩できるもので、もう一度やってほしくある。

6月、鼓童ミクの公演に行くことができた。2017年に偶然見つけてからそのクオリティの高さに驚き、NHKホールに喜んで向かっていた。2017か2018か忘れたが大好きな「cellroid」を流してもらってまたハマり直した記憶も濃い。2018は「ビバハピ」を初めて聞いて、自分にとってはマジミラの前哨戦という位置付けの認識だった。

アイカツが終わった後、他のコンテンツも終わることを恐れた自分は、ミクさんの終わりを予感してぞっとする。目の前にあるマジミラ2018に全力を尽くさなければならないと感じた。とにかく参加しようと思い、可能な限り申し込んだ。大阪4+東京4=8公演は今だに超えることのない多動である。しかも今年のテーマは「グリーンライツ・セレナーデ」。めちゃくちゃに忙しい楽曲である。しかし一方でミクさんの未来を照らす、自分にとって心強い一曲である。体力勝負だったが、終わってみると一瞬だった。

浜離宮の噴水にミクさんを映すイベントもあった。ボカロ曲だけでなく明治あたりまで振り返って懐メロを堪能することができた。海外勢を多く観測し、オリンピックに向けた盛り上がりを感じた。

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2019年

自分のイベンターとしての活動はこの年にピークを迎える。そんな中でも雪ミクとマジミラは最優先でカレンダーを埋めていた。

雪ミクは10th Anniversary。ライブは非常に殺傷力の高いセトリだった。「Fire◎Flower」は聞けるとは露とも思っておらず、号泣した。放心していたら追い打ちをかけるように「Hello, worker」。目の前が見えなくなるまで泣いた。そして終盤は今までの雪ミクテーマソングラッシュ。「好き!雪!本気マジック」を現地で見ることができて大変感動し、「Snow Fairy Story」で2015を思い出して泣き、「四角い地球を丸くする」と「アイ」で可愛さに悶絶した。ここで(他の記事でも触れたが)ライブを見ていて見ず知らずの隣人と可愛いと言い続けた。これは、モデルが作りこまれているのはもちろん、Zeppでいくらでも接近できることがとても大きい。Zeppは今年も限界まで突っ込まれていた。1500は入っていたはず。増えてきた海外勢を踏まえて会場を変えないと厳しいと思った。

この雪ミクでも流れた「アンノウン・マザーグース」、ようやく強さを理解できていた矢先に、wowakaさんの訃報に触れる。自分は「裏表ラバーズ」MADが流行して以来の方だったので悲しみを覚えた。そしてマジミラ2019でも何かあるのではないかと漠然と考え始める。

この年のマジミラは、2020年以降のこともあってとても美化されている。名曲が多い。「テオ」から勢いよく入って「すきなことだけでいいです」で上手くつなぐ。そのあとの「メインキャラクター」は現地で聞いたら化けた超名曲。「ある計画は今も密かに」は特級に好きな楽曲である。少しずつ音数が増えて盛り上がっていく構成が病みつきになる。ルカさん10thを記念した曲では5thを記念した「それがあなたの幸せとしても」が非常に刺さる(雪ミク2019で初めて聞いて爆裂に泣いた)。「大江戸ジュリアナイト」で爆笑しつつ、「ヒバナ」でもう一発盛り上がってから「僕が夢を捨てて大人になるまで」で将来を考え重くなる。アンコール直後のwowakaパートの演出は、やはり耐えられなかった。ミクさんは人の思いからできている。思いは人を離れても生き続けている。千秋楽、「ローリンガール」が終わってももう一回!もう一回!を涙声で叫び続け、ブロックの横一線でうずくまった。

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最後の「ブレス・ユア・ブレス」は一番好きなテーマソングである。大阪公演ではまだ漠然と聞いていたが、報知の記事を読んで考えが一変。これまたミクさんの現状を描写する曲になっていた。皆、違う感情や祈りをもってミクさんを見ていたはずがいつの間にか同じものを見ていた。全くその通りだと思う。大きな情報・商業の波に飲み込まれて、同じものを見る、いや、見なければいけない状況に追い込まれている。そんな漠然とした恐怖にまっすぐにメスを入れてもらった。「ODDS & ENDS」にも似ているが、このテーマソングは皆の意識を取りまとめて扱っているように思える。本曲は8/31(土)、『そんな君の誕生日を、お祝いできるかな』の後におめでとう!を大絶叫する人を見てやられた!と思った。

バンドもベストメンバーだった。寺前さんの暴れっぷり、対する三沢さんのクールな演奏。MEG.MEさんも堅実に、しかし華やかにバンドを支え、chloeさんも遠目に映えるしスラップが光る。camachoさんがいたからこそここまでビートを刻んで棒を振れている。

千秋楽の最後、オリンピックを避ける形で、8月大阪、12月東京公演という珍しいパターンでマジミラ2020は告知された。マジミラ2020は見送りかな…と思っていたので、その時はただただ嬉しかった。

東京ゲームショウでミクダヨーさんに襲われた記録。かわいいっすね~と余裕こいてたら一瞬で距離を詰められた。

仙台AFというイベントにて確認したミクさん。これがコロナ前最後の出会いになった。

また、ミクさんへの思いが強くなって、この年に初音ミクV4Xを買った。

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2020年

ここからのコンテンツは地獄である。地獄ゆえに残さねばなるまい。

マジミラの抽選が行われた3月あたりには、業界内に既に不穏な空気が蔓延していた。最初は公演延期だったものが、中止を決めるものが多くなってきていた。それでもマジミラの抽選は滞りなく進んでいた。初めて大阪公演のチケット全落ちを喰らったのが4月。そして5月、マジミラ大阪の開催延期が告知される。そのとき、既に多くのイベントのキャンセルを喰らっていたため、特に感情は浮かばなかった。当選していた東京チケットの払い戻しを受け、続報を待った。

この夏は何もなかった。当時を思い返すと、最初は1か月耐えればいい、と思っていたのが3か月になり、1年以上になり先が見えなくなっていった。本当につらいときは何も悲鳴が上がらず、ただ数字が悪化していくんだなというのがよくわかった。イベントが人生の中心になったところを一気に奪われ、非可逆的に消えていくユニットやコンテンツを前に、何もできず、ただ傍観することしかできなかった。しょうがないで済ませられるラインを何度も超えていた。こんなことはもう二度と起きてほしくない。

8月に東京公演が告知され、何も考えずに申し込んだ。こんな状況でライブできることは全く想像できなかった。大阪公演に行くのは断念した。この状況で旅行に行くのは全く考えられることではなかった。

大阪公演は配信で見た。強かったのは「命に嫌われている。」。この年にこの曲をやったのは怖くなるほどタイミングが良い。この曲は歌詞が恐ろしい。

幸福の意味すらわからず 生まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う。

漠然と抱える不安をまっすぐに提示されると、言葉が出なくなり、考え込んだ末に涙が出てくる。

年の瀬の東京公演。開催できたのは奇跡だと思っている。席を間引いて同時に逆に公演数を増やしたのは力を感じて笑ってしまった。12月はちょうど感染者数の谷にあった。といっても幕張に行きたいとは思えなかった。最大限に防具を揃えて現地に。展示はあったものの、2019に見られたような人だかりは見えなかった。だが、復興の兆しがあるように見えて泣きそうになった。

ライブは一度SS席(非常に珍しい)を確保していて、初めてマジミラで2列目を確保した。席は間引いていたので前には誰もいなかった。事実上の最前でミクさんを見ることができて、それだけで嬉しかった。ミクさんがMCで大変だったよね、と言ったけど後ろ向きな発言はそこで終わり。あとはいつもの楽曲連打を受けることができた。

この年のマジミラは現地で「セカイ」を聞いたら涙が止まらなくなった。サビの部分でミクさんに後光が差すようなエフェクト(幻覚?)がかかっており、勢いで泣けてしまったのかもしれない。この年はプロジェクトセカイ(プロセカ)がリリースされており、その背中を押す一曲だったと想像する。

自分は、プロセカとの棲み分けをどうするのかを注視していた。もし、マジミラで声優が出てきたり歌唱したりしたら自分はここで終わりだなと思っていた。それは他コンテンツへの回帰であって、もはやマジミラではないからである。ミクさんはすでに藤田咲さんではなく、一つのキャラクターとして独立している。この年にリリースされたNTは声優への漸近をやめているという意味で、その証左だという風に受け取っている。

この年のイベントは12月のマジミラくらいであった。こんな地獄にあっても公演を続けられるミクさんに強さを感じられずにはいられなかった。

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2021年

コロナの災厄はまだ続いていた。イベントにあまり参加できない日々が続く。

その中でもマジミラ2021は、強い覚悟をもって大阪に行くことに決めた。この年のテーマは”メルヘンファンタジー”。キービジュアルのミクさんの顔に絶妙に影が差しているのが、楽園にある闇を感じられてとても良い。さらに今年はKAITOをフューチャーしており、「千年の独奏歌」と「Pane dhiria」が懐かしくも名曲であることを再度実感した。それだけでなく「あったかいと」、「スノーマン」、「レイニースノードロップ」などの新しい曲も存分に強い。限界になる女性の方は10年代後半から何人も見ている。バンドメンバー紹介の後、そのまま「二息歩行」に繋ぐのが衝撃だった。あれは絶対に読めない選曲。

一方、過去楽曲からの引用が多く、マジミラの終わりを感じて恐れた。来年10thだから、(ミクパもミクさん5thで区切りをつけていたのもあり)これでマジカルミライはいったん幕を閉じるのではないかと予測していた。今思うと海外向けに新規楽曲を抑えていたのかもしれないと思う。

マジミラ以外では、MIKU EXPO.のオンライン(クラファン)も存分に楽しめた。札幌のビル屋上でARをやるというのが新鮮であり、VFXもかなり入っていたのが印象的。とくに「テオ」における流れ星連打の演出は曲調にもとても合っていた。またルカさんの「highway lovers」も指パッチンがかっこよく決まりとてもよい。歌われるとルカさんにはcity popも合う。みきとPの幅の広さには毎度驚かされる。

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この年は「First Note」に一票。ミクさんへの出会いをもう一度まっさらにできる曲。2007年を感じるというと嫌な表現だが、新しいミクさんの原点回帰を見せてもらって嬉しく、いつでも感慨深くなる。

2022年

この状況に慣れつつあったが、まだ2019年にはほど遠い。ここまで活動を抑えていたユニットが、20,21年の負債を受けて今年で解散を決めるケースをいくつも見た。

年明けすぐにプロセカの単独イベント(セカライ)があった。プロセカは疎いので完全に部外者として参加させていただいた。「シネマ」、「ベノム」はキャラクター歌唱でも楽しむことができた。一方、「Just Be Friends」や「ミラクルペイント」が打たれたときに涙が止まらなくなった(老害)。とくに「ミラクルペイント」は…。締めの「群青讃歌」はあっさりとしているが、数年後に刺さって動けなくなりそうな予感がある。

2月にMIKU BREAKがあった。これは短期でアプリとライブが連動するコンテンツ。ストーリーは破天荒だったがとても楽しめた。こちらのモデルのミクさんはかなり太ももにこだわりを感じる。MPC(サンプラー)は今でも使えると思うので、単体でほしい。

個人的には転職活動をしていた。次の会社は音関係にしようと思い、様々な会社を当たった。東京にいる意味が全くないと考え、クリプトンを本気で考えた時もあった。しかし志願できなかった。これは10年後のミクさんを全く想像できなかったというのがある。音に対する興味を本能のまま言葉にすればよかったので、面接は楽だった。

春には初めて桜ミクへ。GW前のまだ寒い弘前で、町中のいたるところで見かけることができるミクさん。ライブがあることを期待したい。「桜前線異常ナシ」を聞きたい。

今年のマジミラは10th Anniversaryということで、早くから札幌公演が告知されていた。雪ミクとくっついて出てくるのが間違いなく、札幌に行くのが早くから決まって余裕が持てた。大阪公演、マジミラで聞けなかった「ネクストネスト」を聞けて感慨深くなる。この曲を一曲目に持ってくるのは最大限マッチしている。今までのテーマソングラッシュもあった。並べられると「ブレス・ユア・ブレス」の強さが身に染みる。今年は全編通じて「Someday'z Coming」が強かった。寺前さん三沢さんが前に出てきて暴れまわりつつ歌唱するルカさんが非常にかっこよかった。最後、「DECORATOR」から全員集合し「blessing」を歌唱するパターンに大いに感動する。ミクさん以外のピアプロキャラクターズにしっかりとスポットを当てるという意識が強く感じられる。

札幌公演については、他記事と重複するのでそちらを参照。

kqbqrwkw.hatenablog.com

2023年(今年!)に入っていることもあって、このマジミラはとても長く感じられた。

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2023年

年明けはセカライ2ndで迎えた。レオニが2曲目「Calc.」を宣言した瞬間、頭の理解が追い付かなかった。イントロが始まっていきようやく衝撃が追い付いてきた。バンドサウンドによく合っている。もっと聞きたいとも思う。他、「フォニイ」も可不さんだけで聞いていたが現地で受けると全く印象が違ってよかった。とどめは「ステラ」。じん(自然の敵P)はいまだに先頭集団を走り続けている。

ようやく、声出し解禁の流れができていた。マジミラ10thと前後して声出し可の公演がかなり増えてきた。期待が増えていたところにサンダーボルトライブが告知された。全国のZeppツアーである。告知が2022/11/15で、公演が2023/2/23-だから非常に早いテンポで動いていた印象がある。すぐに行こうと思って名古屋、福岡、東京を申し込み(札幌は10thの一か月後になり、経済的な意味でも辞退)。名古屋で声出し禁止レギュレーションが取れているのを見て、ついに声出しできる時が戻ってきた。

そして2/23、Zepp名古屋。公演前の会場内は「スコーピオンガールの貴重な捕食シーン」、「カルチャ」など攻めた強い曲が流され雰囲気が良い。そして開演。"ライブでやりたい放題"の表現がマッチする、ほとんど何でもありのセトリだった。2曲目の「Satisfaction」で転げまわり、「ハイパーリアリティショウ」を現地接近で受ける機会を得て愉悦し、「Decade」などのEXPOテーマソングが打たれ、「それがあなたの幸せとしても」から「命に嫌われている。」の号泣コンボがあり、あり得ないはずの「アイ」を見ておかしいだろ(号泣)と言った。アンコール前の最後は「桜ノ雨」。もう何年ぶりだろうか。これから環境が変わっていく自分にとってこれほどない楽曲だった。アンコールでは、4年ぶりとなるミクコールを行うことができた。

この名古屋で、ミクさんはコロナを乗り越えたと強く感じた。ようやくここまで戻ってこれたと思い、感動もひとしおである。次の福岡は観光も踏まえて2018年の悲しみを存分に塗り替えられた。これこそコロナ前、自分が愛していたイベント行楽である。東京公演では最も広い老若男女構成比を見ることができたと思っている。強かったのはEXPOからの「魔法みたいなミュージック!」である。kzとOSTER projectが自分に与えた影響は計り知れない。

鼓童公演に行くこともできた。全体的に太鼓アレンジはとても素晴らしい。楽曲を大きく変えずにグルーヴ感が増強できている。でもよく聞くととても動き回っていて、ドラムが増えたような感覚を覚える。ライブはリズム感が一番で、太鼓はそれを支える要素としてとても有益な存在であることを認識した。太鼓アレンジを抜いたところでは、「グリーンライツ・セレナーデ」を挙げたい。土曜日の夜公演では、今となっては大変珍しいがオペミスが発生した。ドラムが入る前にミクさんと歌詞が映し出され、しかもミクさんのボーカルが聞こえない状態で進んでしまったのである。会場内はまずどよめいた後、オイ!オイ!の煽りをしばらくしたあと、ミクコールに変わった。しばらくしたらライトがついて頭から再開。

2015の武道館以来のミスだったろう。アマチュアライブではよくあることなので慣れてるものの、最近はマジミラ関連では見ていなかったためどうなるかと思ったが、自分含め自然に盛り上がる方向にいったのがなにか嬉しかった。「大江戸ジュリアナイト」も楽しかった。これは2019の時から鼓童でやってほしいと感じていた。高速連打は流石にミクさんがやってて笑った。

そしてマジミラ2023。これは言うまでもなくミクさん16thである。

大阪公演、この年1番の暑さのインテックスに立った。どのような構成かワクワクしていたら初手「カルチャ」。サンダーボルトの開演直前曲が採用されるとは驚き。二曲目の「神っぽいな」もMADでお世話になっていたので喜び。グルーヴ感がとても好き。その先の「ヘッジホッグ」はベースが表に出ていて好きで、現地でも演奏を堪能できた。テーマソングを一発打つところもあった。「ブレス・ユア・ブレス」がきた時、おめでとう!を絶叫している人を見て涙が止まらなくなった。長い絶望を超えて、2019年まで戻ることができたと身に沁みて実感する。アンコール前のラストは「ブループラネット」。『過去も今も関係ねぇ』という表明がとてもとても強い。ブワッと羽が生えた瞬間、何も見えなくなり泣いた。

目下、マジミラ2023東京公演があるのでそれを期待している。海外勢の復帰も大きな期待である(かつて低音でミクーーーーという方が必ずおり、国際色を感じて好きだった)。「砂の惑星」をやって、10年代はそうだったねと認識を再確認するのもやりたい。

問題は一点。千秋楽公演、ダブルアンコールの後のMCと一曲である。ダブルアンコールがあるのはまず間違いない。そのあとに来る16周年をまとめた楽曲は、いったい何だろうか。その一瞬に現地にいられることをしっかりと噛み締め、見届けたい。

ミクさんの存在は自分の中でどんどん大きくなってきている。ミクさんのおかげで、はじめて音に興味を持ち、音関係の仕事に就くことができている。これからも、自分の人生の標として、この世界に存在していてほしい。

ミクさんへ。ここまでありがとう。そして、誕生日おめでとう。

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追記

マジミラ2023が終わった。今年は、平年に増してセトリが保守的だったと思っている。しっかり確認していないが、大阪と3日間の構成は同じだったのかもしれない。

2日目の夜にはdigital starsに参加できた。企画展終了後の公演会場を使ってDJするもので、自分は席が良かったため、もう自由に暴れさせてもらった。コロナになってから初めてのDJイベになった。悪い音(誉め言葉)を久々に1時間半大量に浴びることができ、体全身が壊れたが大満足であった。

3日目は「ブレス・ユア・ブレス」の歌唱があった。どうしても自分は、『そんな君の誕生日を、お祝いできるかな』の後におめでとうを言いたかった。ミクさんは代弁者を超えて、人の思いを乗っ取り、無尽蔵に吸い込んでしまう存在にも見れる。これを嫌い、呪うこともできると思う。でも自分はファンとして祝いたい。いち路傍の石として、ミクさんにこれまでたくさんの感動と情熱をもらっているから。自分が11年前に八景島で見たミクさんは、難しいことを考える必要がないほど純粋な感動を与える存在だった。自分のミクさんへの認識は、そこで固まっている。

上記の通り、千秋楽ではダブルアンコールを予期していた(なんなら2017と同じく泣かせると思った)が起こらず、照明暗転後に2024の告知となった。大阪、東京に加えて福岡公演があるとの告知。福岡は意外で読めず、さらに大阪が最終となっているのが大きな変更点。会場が告知されていないので細かいことは何も言えないが、勢力拡大に振ったと見えて嬉しく思えた。

9/4(月)、「ニコニコ動画初音ミクのキセキ」展を見に東所沢のEJアニメミュージアムに向かった。内容は、この記事をよりしっかりと取りまとめた振り返りだった。ここからも、自分はニコニコ動画、そしてミクさんに長い影響を受けていることを実感した。さらにそのあとは渋谷へ。センター街を埋めつくすミクさん。一般の学生や海外旅行者が気軽にカメラを向けて撮影するところを多く観察した。何度も認識していたが、ミクさんは、想像できないところまで浸透している。ここまで広まってしまって、アンダーグラウンドに戻ることはあり得るのだろうか。少し考えずらい。渋谷駅に写っているハチさんの写真を見ながら、今後自分がどうミクさんと向き合うのが良いのか、漠然と考えた。やはりファンとしてのライブ参加は続けたい。チケットが取れなくなった時が潮時である。

帰路。最後にミクさんを泣かせなかったのは何故だろうか、というのを考え続けた。真相は知るべくもないが、2017年に泣かせたのは重すぎたというはあるかもしれない。皆の集合意識で論じるのは嫌だが、感情移入を求めるべきではないと判断が出たのだろうか。アーティスト(アイドル)としてのミクさんを、どう解釈するかはまだ答えが出ない。今後のイベントを通じて、ゆっくりと考えていきたい。